2014年01月25日

時 間と ア イデ アの 伸び 縮 み

昨日、


ある日の寝起きに、
ものがたりの文章が思い浮かんだ、
という話を書きましたが


そこからさらにまた浮かんだ、時間とアイデアについての考察をば。



ダリは
半分寝た状態がアイデアが浮かぶと主張し、
筆を用意し、キャンバスの前で
スプーンを口に挟みながら
うたた寝をしたそうです。

うたた寝をし始めると
意識がだんだん遠くなり
意識がなくなったところで
口に挟んでいたスプーンが床に落ち


その瞬間に絵を書きはじめたそうです。
アイデアがばくはつするのだそう。



自分がものがたりを思いついたとき、
寝起きでしかも一瞬で思いつきました。


一字一句、ほぼ全部が一瞬で思いついて
それをただスマホに書き落としただけでした。


その時は何も思いませんでしたが


昨日のブログでそのことを書いてみてから
ふとダリの逸話のことを思い出しました。


そういうことだったのかな。と。


ダリと私が表現の才能が同じではないことは確かですが

ちょっと似通った話のような気がして

なにがいったいそうさせたのかを
一歩進んで考えてみたわけです。




みなさん夢を見ますよね。

短い夢だったり
もう終わってくれ、と思うくらい長い夢であったり。

でも
長い夢を見ても
目が覚めて時計をみた時に意外に時間が経っていなかったり。



はたまた、
私はこういう経験があったのですが

中学生の時に部活がなかなか大変で
帰ってきてメシ食って風呂入って
やっとのことで眠れる、睡眠ちょーうれしー、
と思って枕に顔を埋めた瞬間に
次の日の朝がきていました。

あまりに一瞬のことで
寝た感覚がないんですよ。
起きた感覚もない。


夜、ただ枕に頭を埋めて上を向いたら朝だった。

という経験です。

その朝は損をした気分になって
とても悲しい思いをしました。



みなさんも少なからず
睡眠時もしくはその前後に時間の感覚がなにかしらちょっと変になる、不思議な経験をしたことが
あるのではないでしょうか?



そういったことからちょこっと考えてみたわけです。

実は
睡眠中の時間の概念は
伸び縮みするのではないか、と。
例えば
長い夢を
それよりも短い時間で、
もしくは一瞬で観れてしまうこと
が人にはできるのではないか、と思ったのです。


夢を見させているのは脳ですよね。たぶん。
人が実際に経験しているのではなく
自分の脳みそが
夢を見させているので

想像なのですが

一瞬で少しぐらいの短編ほどのの情報を生み出し
それを植え付けることなど
簡単なことなのではないかと
考えついたのです。

雰囲気で言ってみると
夢の書かれたカードを
ぽーんと脳が出す。
それをみた脳のもう一つの部分が
一瞬で読み解く。
ような感じです。





そんなかんじで
話は元に戻りますが


半分寝た状態や
寝起き、または睡眠中は
脳が通常よりも違った動きをするのではないかと。

そこにアイデアが、
自分の中にある、自分が知らないアイデアが
含まれているのではないかと。
そのアイデアの量も実は増減してたりして。
もしかしたら寝起きには爆発的なアイデアの噴出があるのかもしれません。






ダリがやっていた
スプーンをくわえる習慣をする気は
わたしには全くありませんが




寝起きに文書が思い浮かんだ話を書き、そこから浮かんだ、時間とアイデアについて

考察でした

マル
posted by yonpurasu at 05:00| essai | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月24日

Fa mi l y

ちょっとこれすごいな。


と個人的に思ったものの中から一つ。





ロンドンオリンピック中継でのことです。

レスリングの浜口さん出場で
アニマル浜口さんらご両親が会場に応援に駆けつけていました。

競技に対する熱さや芸能活動で
とても有名なご家族ですよね。


私はその日、中継を見ていました。

残念ながら初戦敗退という思っても見ない結果が待ち受けていました。
見ている人たちも本人たちも全く予想していなかった結果だったでしょう。
誰しもが驚いたと思います。

NHKでの中継は時間をかなり余しているようでした。
もちろん他の方の試合や他の競技の結果や進行などを伝えていましたが
その日はその階級のレスリングメインの日。なかなか厳しい状況だったと思います。

その状況で
会場の外から会場を臨む静かな場所で
現地アナウンサーとご両親の三人で中継を行う時間がやってきました。

思うに、
かなり辛い状況だったと思います。
その3人にとって
生中継で時間をしっかりと取りつつ
結果とその雰囲気を今すぐに伝えるのは酷なのではないか

と私は思い、
見るのも辛いのではないかと
チャンネルを変えようかとしていましたが




実際の三人は全く違いました。



その時、(真夜中に一回しか見ていないのでうるおぼえですが)
アナウンサーがご両親にその敗因などをインタビューしはじめました。

その質問に対してご両親はどのように答えるのかと思ったら
なんとけんかをし始めるのです。

『これから娘は次のオリンピックを目指すのだ!』
と父親が言えば
『そんなことは今考えることじゃないし、しかも本人が考えること!』
と母親が応える。

そういった感じで
アナウンサーが入る隙なく
けんかが進んでいき
それも最初から最後までテンションMAXなのです。

なかなかの長尺なので
すげーなこりゃ、
と思っていたら

しばらくして
それまで黙っていたアナウンサーが割って入り

そろそろ中継の時間が終わりに近づいてきました。


まとめに入りました。

すると
なんとその瞬間に
アナウンサーの言葉を邪魔することなく
二人は黙り、満面の笑みになって
カメラの方を向いていました。


唖然としながらも
その瞬間、
私はハッ、とし
やられた!
と思いました。


思いっきり勘違いしていた自分に気付きました。


この二人は
演技をしているのだと。

この二人は確信犯で
その中継の本筋をすり替えたのだと。

もちろん目的は娘を守るためです。

娘の初戦敗退という深い悲しみを心に持ちながら
世の中の非難の先を自分たちへと向けたのです。

いや、本心はわからないですよ、もちろん。

でも
アナウンサーが中継がもうすぐ終わることを告げた時に
すっと黙り、なおかつ満面の笑みをカメラに向けるなんてのは
並大抵ではできないことだと私は思うのです。


数十分前に大きな悲しみ負ったばかりのはずの人たちが
それを原因としてけんかをして興奮している状態から、
瞬時に満面の笑みに、しかも二人ともが満面の笑みになり
放送を終える、
ってのが簡単にできると思いますか?


実際、
その中継はご両親のけんかによって
混沌としたものになりながら終了してゆき、
結果的に
たぶんそれを見ていた者すべてにとっては
何についてどう考えるべきなのかを見失わせるくらいに
効果的だったのではないかと思うのです。






ちょっとこれすごいな。


と個人的に思ったものの中から一つ。

でした。

これはやっぱり
愛なのだな、と。





昨日、録りためてあったもやさまをみたら
件のご両親が出ていて
その時もその場を混沌とさせながらも
綺麗にまとめていたのを観て
思い出し書き出してみました。
posted by yonpurasu at 22:00| essai | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月21日

買い物 (再掲)

買い物_s.jpg

この間この写真撮って
この写真的なストーリーを考えてしまいました。(2012/11/04)


興味ある方は読み進めてみてください。



---------------


彼女が地上に出られなくなってから
3年の月日が流れようとしていた。

地上はあの戦争により汚染され人々は住んでいないとのことだった。
人類は事前に用意された地下シェルターに避難し
そこに入れた者だけが
生き残ったのである。



しかし、
1年ほど前から
こんな噂が流れて来た。


地上のある場所に生きている人たちがいる。
生きて生活をしていると。


そこにはコミュニティーがあり
農業もしているとのことだった。


そしてそこには
商店街さえも。



彼女は地上を去ってから3年で
歳も50に近づいた。家族もいない。
すべてを失った自分だが
地下の生活はうまくこなしている方だと思う。
 

だが
地下で生活する中で
生きている気持ちをどうしても持てなかった。


地下の生活は
地上のそれとは大きく違い
心を満足するものが一つもなかった。
こんなにも大地が、太陽が、川が、山が
そして家が
大事なものだと
それらを失ってから初めて知った。



そんなとき、
地上に住む人々の噂が耳に入って来た。
地下に生き残った政府の関係者はそんなものは存在するわけがないと
口を揃えて言う。



しかし
その噂を聞いてから
彼女は無性に買い物がしたくなった。



買い物をすることが
生きている証のように。

一度商店街を歩いている自分を想像すると
そのイメージから離れることができなくなった。
 


突き動かされるかのように
噂の元を丹念に調べ
やがて彼女は核心へと辿り着く。


『第16シェルターの裏から地上に繋がる道がある』


彼女を留めておくものは
もう何もなかった。

 生きている証を。
 私は生きている証を取り戻しにいくのだ。


 私は商店街へ

 買い物

 に行くのだ。



そうと決めると
彼女は一目散に第16シェルターへと向かった。


『ここなのね』

複雑な道筋だった上にうまく隠してあったので
見つけづらかったが
そこには
地下通路が有った。


通路は3年使っていないはずだがまだしっかりとしている。


こんなにも近くに
地上への出口があったなんて彼女は想像もしていなかった。


この先には
私が知っている地上があり
人が住み
そして商店街がある。





彼女は覚悟を決め
その腕にしっかりと買い物かばんを提げ




地上へ、光のある方へと向かった。
 
 

彼女は一度も
うしろを振り返ることはなかった。
振り返るべきものそのものがなかった。

 
出口らしきものに近づいて来たようだ。
やがて光が見え
そこには馴染みのものが見えて来た。

そう、太陽に照らされた人の姿だ。

私は辿り着いたのだ。
地上に。
光の元に。
出口はもう目の前だ。

 
 
 
 
彼女の頭の中は既に
買い物リストで埋め尽くされていた。

 










(フィクションです。読んでいただき感謝です。)

posted by yonpurasu at 12:00| essai | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私はこの車の元主だ。

私はこの車の元主だ。.jpg

この間この写真撮って
この写真的なストーリーを考えてしまいました。


興味ある方は読み進めてみてください。



---------------



私はこの車の元主だ。


私がこの世から去って
家族が手放したのだろう。


現在の主も良い整備をしている。
いつもしっかりとしたエンジン音が聞こえる。聞けばわかる。



申し遅れたが
私は猫だ。

猫だけれどただの猫ではない。
正確にいうと
前世が人間だ。
それを覚えている。


自分が普通に暮していたことをおぼえている。
この車で通勤していたことも覚えている。
妻と喧嘩をして家を出てこの車で一人で出かけたことも覚えている。
妻と楽しくおしゃべりしながらこの車でドライブしたのも覚えている。



だけど
自分が誰だったのか
家族が誰だったのかは覚えていない。

その辺りがぼやけているのだ。


記憶というのは不思議なもので
変なところだけがくっきりとしていて
大事なところが曖昧だ。



どうも私はこの車の近くで生まれ変わったようだ。
気がついたら新しい家族(猫たち)の中に子猫としてそこにいた。今もこの辺りで過ごしている。何かの因果があるのだろう。



なぜこの車が自分の車だとわかったのかはひとつの傷だ。




私が買ったばかりの車を大切に乗っている中、妻がふとした拍子にボンネットに鍵を落としてしまったのだ。
どうやったらボンネットに鍵を落とすのか、どんな不注意があったらそんなことになるのか私には理解できず
その不注意に私は機嫌を損ね
その日は不穏な空気につつまれてしまった。
たいしたことではない。ほんの些細な傷だ。
そんな態度をしてしまったことを今でも(猫になった今でも)後悔している。





今日もこの車が定時に帰って来て
新しい主が家へと立ち去って行くと
私はボンネットに乗り
その傷がある辺りに行く。


この季節の
帰って来たばかりの
車のボンネットは格別だ。


からだの芯まで温まる。

私はうとうととし始める。

淡い記憶の中で
ぼんやりとだけ覚えている家族のことを思い出し
こころの中が温まっていくのを感じながら
私はボンネットの
その傷の上でさらに
うとうととし始める。





もう一度言おう。





この季節の
帰って来たばかりの
車のボンネットは格別だ。











(全くのフィクションです。この写真を撮って、見て、頭に浮かんだものがたり)
posted by yonpurasu at 12:00| essai | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月19日

w a te r

水についてあらためて考えてみる。




水は循環することができる。

大地に恵みをもたらし
土に浸ったものはやがて川となり
海へと辿り着き
水蒸気となって空へ
やがて雲となり雨となり
大地に恵みをもたらす。




水は形を変えることができる。

水は器に入るとその器に合わせ
その形を自由に変える。

水は冷えると氷となる。
温めると水蒸気となる。
その形を自然に対して自由に変化させ
柔軟に対応することができる。


そしてなにより
腐ることができる。


それは、
我々に、自然に対するあり方を教えるだけでなく
留めておくことはできない永遠性
についても教えてくれる。
posted by yonpurasu at 21:00| essai | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする